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焦点:「たたき上げ」から頂点へ、菅氏に問われる宰相の力量

[東京 4日 ロイター] - 安倍晋三首相(65)の右腕として戦後最長の政権を支えてきた菅義偉官房長官(71)が、次期総理の座を手にする最短距離に浮上してきた。

 9月4日 安倍晋三首相(65)の右腕として戦後最長の政権を支えてきた菅義偉官房長官(71)が、次期総理の座を手にする最短距離に浮上してきた。写真はロイターのインタビューに応じた菅氏。8月26日、東京で撮影(2020年 ロイター/Issei Kato)

幾多の難題を巧みにさばいてきた政治手腕、官僚組織への強いにらみ、冷静な物言いからうかがえる安定感。どれをとっても政権の大番頭として高い評価を集めてきた菅氏だが、日本を率いる宰相としての思想性や政治スタンスは明確な輪郭がつかみにくい。

禁欲さで知られるたたき上げの政治家はどのように権力への階段を上り、安倍後継の重責に挑もうとしているのか。

<二階氏とのたたき上げの絆>

安倍首相が突然の辞意を表明する約1週間前の8月20日夜、菅長官は、都内のホテルのVIP用個室で、自民党の二階俊博幹事長(81)と会っていた。ともに有力政治家の秘書から地方議員へと、たたき上げの苦労を重ねた経歴を持つ2人は、「お互いに、親分にはかわいがってもらったな」と昔話に花を咲かせた。

この席に唯一、加わった政治評論家の篠原文也氏はこの会食について、二階氏が「菅さんとの関係を重視しているということを外向けに知らしめる、また菅さん本人に対して、あなたを大事にしているんだぞ、ということをわからせる。そういう意味があった」と話す。2人は6月と7月にも会食していたという。

二階氏は安倍首相の後任を選ぶ自民党総裁選に向け、早々と菅氏への支持を表明した。二階氏と菅氏は、安倍首相を始めとする世襲議員とは違い、親の七光りがない党人政治家として共通項を持つ。党を牛耳る幹事長である二階氏の強い後ろ盾を受け、菅氏は首相後継の有力候補と見られていた岸田文雄党政調会長、地方党員の支持でトップに立つ石破茂元幹事長に大きく水をあけ、14日に行われる総裁選挙での勝利が確実視されている。

篠原氏によると、会食の中で菅氏は「二階さんが幹事長として党内をきちんとグリップ(統率)してくれている。そのおかげで今の政権(運営)が非常にやりやすい」と二階氏を持ち上げた。政権運営について、政府と自民党がそれぞれの立場から協力しあう関係を確認するような雰囲気だった、と篠原氏は振り返る。

<ゼロからの政治家スタート >

総裁選出馬を表明した2日の会見で、菅氏は約7年8カ月にわたって安倍首相とともに進めてきたアベノミクスなど基本政策の継承を表明。独自の路線を示すことなく、安倍氏の後継者としての姿勢を鮮明にした。

そして、菅氏は「私の原点について、少しだけお話をさせていただきたい」と、秋田県の農家に生まれた生い立ちを話し始めた。地元で高校まで過ごし、卒業後就職のために上京、町工場で働いた。学費を稼いで法政大学に進み、いったんは民間企業に就職したが、26歳の時に横浜選出の国会議員、小此木彦三郎氏の秘書となる。その後、横浜市議を経て、1996年に47歳で国会議員に当選した。自ら「地縁も血縁もないところからのまさにゼロからのスタート」だったと語る。

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高校時代の同級生、川井寛氏(71)は、菅氏が政治の世界でここまで昇り詰めるとは思わなかったと語る。秋田で観光ガイドをしている川井氏にとって、菅氏は「本当に寡黙な少年」という印象だった。「同じクラスにいても、あいついたかな、と。知られざる存在という感じだった」と川井氏は言う。

政治の道に進んだあとも、菅氏は強烈な個性を周囲に示したり、自分の野心や野望をあからさまに口にすることはまずなかった。自民党の元政調会長で古くから安倍氏と親しい亀井静香氏(83)は、そんな菅氏を「国家観がなく、歴史観もない。秋田県から出稼ぎで東京に出てきた庶民派だ」と評する。

<「自分を舞台の俳優だと思え」>

昨年の日経新聞とのインタビューによると、菅氏は毎朝5時に起床、新聞をチェックしてから腹筋運動を100回こなし、頭をすっきりさせるために40分のウォーキングをする。日々のスケジュールは多忙を極めるが、仕事は細部にこだわり、妥協を許さない。

横浜市議の遊佐大輔氏(39)が菅氏に会ったのは2004年、民間企業の営業職で働いていた時だった。その後、遊佐氏は菅氏の秘書となった。菅氏から徹底して言われた言葉は「自分を舞台の俳優だと思え」。遊佐氏は「そのときに自分がどのポジションにいるのか客観的に見なさいと(いう教え)」だった、と振り返る。しかし、菅氏は総理大臣になることは全く考えていなかっただろうと遊佐氏は言う。

<安倍晋三氏との出会い>

菅氏の政治家人生で大きな転機となったのは、安倍氏との出会いだ。接点は2000年の初め、北朝鮮船の日本寄港を阻止する法律の制定を働きかけていたときだった。

2006年の第1次安倍内閣で菅氏は総務相となった。大仕事のひとつは「ふるさと納税」制度の創設だ。 総務省で副大臣として菅氏に仕えた大野松茂氏によると、この制度の創設は、前例のない税制の導入をいやがる官僚の激しい抵抗にあった。

大野氏は菅氏の人柄について「人の話をよく聞く人です。お酒は一滴も飲みません。飲む会合にはちゃんとお付き合いするし、真面目に話を聞いている」。飲まなくても宴会の幹事を引き受け、人並み以上に気をつかう人だったという。

前述の篠原氏も菅氏のこうした気遣いについて「そういうのが彼の政治の原点だから。今のような状況になって人間関係重視、それが菅さんのいちばんの武器になっている」と指摘した。

安倍氏が首相に返り咲いた2012年末、菅氏は官房長官として入閣する。2016年、同氏は財務省・金融庁・日銀が国際金融市場の動向について情報交換する三者会合を立ち上げた。菅氏は8月のロイターとのインタビューで「(三者会合は)日本の国が何を考えているか、分かりやすいメッセージを(市場に)出せるという意味で有効だ」と述べた。

菅氏の強みについて、大和総研の熊谷亮丸チーフエコノミストは、日本の複雑な官僚組織をうまく動かせる巧みな能力だと指摘する。 菅氏とは頻繁に会っているという熊谷氏は「彼は、それぞれの省庁のキーパーソンが誰かを理解し、組織を動かす方法を知っている」と語った。

<頂点に迫る「令和おじさん」>

菅官房長官の存在が一般に広く知られるようになったのは、昨年、新元号が「令和」に決まったことを発表した時で、それ以来、子どもにも「令和おじさん」と呼ばれ親しまれるようになった。

今年になって、新型コロナウイルスの感染拡大が経済に打撃を与え、安倍政権の支持率は急落した。安倍首相の健康問題が取りざたされるようになると、次期首相候補として菅官房長官の名前も浮上した。

「官僚出身者たちは政策もこなせるし、演説もうまい人がいっぱいいるんだけど、(菅氏は)それとは違う(年季を重ねた)体臭を感じさせるプロフェッショナル政治家だ」と篠原氏は話す。

2時間半にわたる会食の後、大勢の記者やカメラマンが待ち構える中、二階氏と菅氏は別々にホテルを後にした。 翌日、テレビに出演した菅氏は、「(昨夜の)会食では自民党総裁選の話などしていたのではないか」とのニュースキャスターの質問に控えめな笑みを見せながら、「それは全くないです」といつもながらのポーカーフェースを披露した。

*取材者の名前を追加して再送しました。

斎藤真理 Ju-min Park Antoni Slodkowski 取材協力:宮崎亜巳 編集:北松克郎 

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