March 8, 2019 / 6:46 AM / 8 months ago

アングル:「命の尊厳」問うロイター写真家ベラキス氏の足跡

[ロンドン 2日 ロイター] - 数々の賞を受賞し、世界で愛されたロイターの報道写真家ヤニス・ベラキス氏が、がんとの長い戦いの末、死亡した。58歳だった。

3月2日、数々の賞を受賞し、世界で愛されたロイターの報道写真家ヤニス・ベラキス氏が、がんとの長い戦いの末、死亡した。マケドニア国境近くのギリシャ・イドメニで2015年9月、雨の中、娘を抱いて歩くシリア難民の男性(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

約30年前にロイターのカメラマンとなって以降、ベラキス氏はアフガニスタンやチェチェンの戦争のほか、カシミール地方の巨大地震、2011年に起きたエジプトの民主化運動など、世界中で数々の動乱を撮影してきた。

ヤニス・ベラキス氏。仏ノルマンディーで2016年10月撮影(2019年 ロイター提供/Enric Marti)

仕事で彼が見せた技術や勇気は、同僚のみならず、ライバルからも尊敬された。2016年には、ロイターのチームを率いて難民危機を報じ、ピュリツァー賞を受賞している。

現場でベラキス氏と肩を並べて取材した同僚らは、最も才能豊かで、仕事に情熱を傾けるジャーナリストの1人をロイターは失ったと嘆いた。

「最も芸術的なやり方で、ストーリーを明確に伝えた」と、ロイターのベテランカメラマンのゴラン・トマセビッチ氏は言う。

「最も大事な1枚を撮るために、あれほど献身的に、集中して、すべてを犠牲にするカメラマンはもう出ないだろう」

リビアのミスラタで2011年4月、攻撃から逃げる反乱勢力の戦闘員(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

実際、その献身的な姿勢は印象的だった。30年来の友人であり同僚であるプロデューサーのバシリス・トリアンダフィロー氏は、ベラキス氏について、撮りたい写真を撮るために昼夜を問わず働き、時に個人的なリスクも取る「ハリケーン」のようだったと話す。

仕事の外では、ベラキス氏は温かく、周囲を楽しませ、人を引き付ける存在だったという。激しい気性を見せることも時にはあった。

「同世代の報道写真家でベストの1人だった。ヤニスは仕事においても人生においても、情熱的で、活発で、強烈だった」。米国ジェネラル・ニュース・エディターのディナ・キリアキドーコンティニ氏はこう話す。

「彼が撮る写真はそれぞれの現場を象徴し、それ自体で芸術作品として成り立つものだった。だが彼を偉大な報道写真家たらしめたのは、彼の共感力だろう」

プロとしての仕事において、彼のやることは全て、紛争地帯や危機に陥っている国で起きていることを世界に見せるのだという意思で貫かれていた。

マケドニア国境に近いギリシャのイドメニで2015年9月、マケドニアの警察官に入国を許すよう懇願する難民ら(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

目を引く写真の力が、人々に関心を持たせ、時に行動を変えさせることを彼は知っていた。この信念が、死後も長く人々の記憶にとどまるような仕事を成し遂げさせた。

「私の使命は、あなた方にストーリーを伝えることだ。それを受けて、あなた方は自分たちがどうしたいか決めるのだ」

ベラキス氏は、欧州の難民危機の報道でピュリツァー賞を受賞した後のロイターのセミナーでこう語った。

「私の使命は、知らなかった、と言える人をなくすことだ」

<戦火の中>

ベラキス氏は、1960年にアテネで生まれた。

アルバニアのドゥラス近郊で1997年3月、浜辺に着陸した米軍ヘリに子どもを運ぶアルバニア人男性(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

若いころに、タイムライフ社の写真集を目にしことがきっかけで写真のコースを受講し、写真に熱中するようになった。

1980年代半ばには写真スタジオで働いていたが、その雰囲気を息苦しく感じていた。1979年のニカラグア革命に至る戦乱を取材する記者を描いた1983年の映画「アンダー・ファイア」を見たことがきっかけで、報道写真を志すようになった。

ベラキス氏は、1987年にフリーランスとしてロイターのアテネ支局で仕事をするようになり、1989年1月、初の海外取材でカダフィ政権下のリビアに出張した。

そこで彼は、絶好のタイミングで絶好の場所にいるという特技を発揮することになった。

カダフィ氏が突然、ジャーナリストたちが数日間軟禁されていたホテルに現れ、記者たちは写真を撮り発言を録音しようと殺到した。

イラクとトルコの国境で1991年4月、パンの配布に殺到するクルド人難民(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

「私はどうやってか、彼の隣まで行って、広角の写真を撮ることができた」と、ベラキス氏は書いている。

「次の日、自分の写真が世界中の新聞の一面を飾っていた」

<紛争と危険>

その後30年にわたり、ベラキス氏は欧州やロシア、中東やアフリカ、アジアなどの暴力や混乱を撮影し続けた。

彼の写真は数々の賞を受賞。戦争取材記者の緊密なコミュニティーの中で、混乱の中にも「美」を見つけ出すたぐいまれな能力と、常に出来事の「中心」にあろうとする彼の姿勢は尊敬を集めた。

彼の写真には、戦いの恐怖や恐れ、死、愛、萎縮、飢餓、故郷の喪失、怒り、そして失望と勇気が、写し取られている。

テヘランで1989年6月、ホメイニ師の遺体が安置された広場で祈る女性(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

1998年、旧ユーゴスラビアで撮影された、戦闘で死んだ2歳の男児を小さな棺に納めるアルバニア系住民の男性をとらえた写真は、そうした写真の1枚だ。

ベラキス氏は、高い位置から、遅いシャッタースピードとズームを駆使して、目まいを覚えるような効果を出している。

「非常に強力な写真で、子どもの体が宙に浮いているかのようだ。まるで、彼の魂が体から離れて、天国に向かうかのように」

ベラキス氏はこの写真について、こう語っている。

シエラレオネの内戦を取材中の2000年、ベラキス氏のほか、ロイターのカート・シュローク記者とマーク・チザム記者、そしてアソシエーテッド・プレス(AP)のカメラマン、ミゲル・ジルモレノ氏らの移動中の車列が、反乱勢力とみられる武装した男たちに待ち伏せされた。

ベラキス氏の親しい友人でもあったシュローク記者は銃撃を受けて即死し、ジルモレノ氏も死亡。ベラキス氏とチザム氏は助かった。

2人は、道路脇の草むらに身を隠し、武装した男たちが去るまで数時間もジャングルに身を潜めて難を逃れた。

ベラキス氏は、危機を脱した直後に自分の写真を撮った。その写真で彼は、焦点が合わない目で空を見上げている。

「ヤニスは、その後大きく変わったと思う」と、チザム氏は襲撃事件とシュローク氏の死について振り返る。4人は、1990年代のサラエボ包囲の取材を通じて親しくなり、「兄弟」の間柄になっていた。

「彼は素晴らしい人間で、優秀なカメラマンであり、同僚としても最高だった」と、チザム氏は話す。

ベラキス氏は、戦争は大嫌いだが、取材にともなう旅や冒険、仲間との連帯は愛していると語っていた。ベラキス氏は、シュローク記者の死によってやる気を失うことはなく、むしろしばらくは戦闘地域に駆り立てられるように出向いていた。

「彼の思い出が、報道写真の神髄と私が考えている戦争写真に再び向かわせてくれた」。ベラキス氏はこう書き記している。

2012年9月、アテネで抗議デモ参加者が投げた火炎瓶の炎に包まれる警察官(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

<帰還>

近年では、ベラキス氏は故国ギリシャで財政危機や欧州に渡る無数の難民の撮影をすることが多くなっていた。

2015年、ベラキス氏とカメラマンのチームは、数カ月かけて交代でシリアやアフガニスタンなどから逃れてきた数万人の難民を取材した。

2015年8月、トルコとギリシャの間の海域を漂流するシリア難民の船(2019年 ロイター/Yannis Behrakis)

彼は当時、まだ若くて経験の浅いカメラマンのアルキス・コンスタンティニデス氏の面倒を見てやり、2人は親しくなった。

ピュリツァー賞受賞チームの一員でもあるコンスタンティニデス氏は、ベラキス氏は自らの行動で例を示し、タフで厳しい要求をするメンターだったと振り返る。

「親しくなって心を開くようになると、何時間でも隣に座って話をしていたくなるような人だった。必ず、何かしら得るものがあった」

娘を持ち、祖国を誇りとするベラキス氏は、ギリシャに押し寄せた難民危機に大きく揺さぶられ、罪悪感や不眠症、悪夢に悩まされるようになった。

だが同時に、困難な状況に置かれた人々を憐れみの対象として写すのではなく、人間としての尊厳を捉えることに集中するベラキス氏の真価も発揮された。

2011年2月、チュニジアのラスジェディールで取材中のベラキス氏(2019年 ロイター提供/Lefteris Pitarakis)

ベラキス氏が、彼の最高傑作の1つとされる、雨の中で道路を歩きながら娘を抱きかかえてキスするシリア難民の男性の写真を撮った時、前出のトリアンダフィロー氏は一緒に現場にいた。

「その日の朝、ホテルから出た時には雨が降っていて、ヤニスは文句を言っていた」と、トリアンダフィロー氏は振り返る。

「国境に向かう途中で難民たちに出会い、彼は写真を撮り始めた。しばらくして、もう行こうと私が声をかけると、彼は、まだ写真が撮れていない、と答えた。車の中で待っていると彼が戻ってきて、写真が撮れた、と言った。彼が求めていたのは、この写真だったのだ」

この写真についてのベラキス氏の発言は、一風変わっていた。

「この父親になりたい。子どもは皆こんな父親が欲しいものだろう」と、説明したのだ。

「この写真は、スーパーヒーローはやっぱりいるということの証明だ。赤いマントの代わりに、ごみ袋で作った黒いビニールのマントをしている。自分にとってこの写真は、世界中の父親と、娘への無条件の愛が表現されたものだ」

ベラキス氏は2017年、ロイターで、より幅広い報道カメラマンのチームを育成するプログラムを立ち上げた。

各地で写真のフェスティバルやイベントに参加し、彼の話に触発された多くの若いジャーナリストが、ロイターの奨学金に申し込んだ。ベラキス氏はこの仕事を非常に誇りにしており、死の直前まで次世代の才能の発掘に取り組んでいた。

ベラキス氏は、妻エリザベトさんと、娘レベッカさん、息子ドミトリさんを遺した。

(翻訳:山口香子、編集:伊藤典子)

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